2001年~2010年のテーマ

2001

「未知なる地球の美を求めて」

地球の美を探求する私達、地球ははるか昔からあり、数々の侮辱を受けながらも耐え抜き見事な輝きを守り抜いてきました。地球で日々起きている環境破壊に嘆きながら過ごすが、私達はそれでも日没時になると、地平線の影に沈む黄金の太陽があたりを真っ赤に染めながら消える姿は私達の胸を高ぶらせ、おのずと感謝の気持ちが沸いてきます。そして何事にも夢中になれる人は幸せであり、この世の存在に魅了される事は生きている証となるのです。この自然の驚異に魅了されたのはエルメスも同じです。そしてそれはものづくりを通し、敬意を表し、その素晴らしさを守る続ける為に尽くしていくのです。エルメスは2001年の春、改めて世界を発見する旅へと向かいます。世界は常に広がり私達の目の前にあるのです。そうして世界は、日本人画家の神坂雪佳をはじめとする優れたアーティストの手により、鮮やかな手法で様式化されるのです。

2002

「手」La Main

「手」を賞賛する事はエルメスのようなメゾンがすると自画自賛だと言われるかもしれません。職人にとっては、もちろん「手」は一番の道具です。しかし、「手」は単に肉体的作業に限りません。精神的行動もするものです。昔、哲学者のドゥニ・ドゥ・ルージュモンは「手で考えること」を推奨しました。手を使うことによって思い描いた考えに重石ができ、その重みで思考を具体的な事からかけ離れてしまうのを防き、常に正しい判断へと導くことができるのです。手の動きには様々あり、例えば顔に向かってさしのべたり、何かを渡す時には開いたり、小鳥の体を温める事も出来るのです。美をつくり、傑作を生み、オーケストラを指揮するのも「手」です。そして友情を伝えたり、伝わってきたりもします。「手」とはなんと素睛らしい共感の方法でしょう。なんという表現力なのでしょう。このような理由と、それにあなたと握手を交わす為、エルメスは「手」を称えます。私達の仕事は、「手」があってこそのもの。だからこそエルメスは、「手」に2002年の12ヵ月を捧げていくのです。

2003

「地中海」La Mediterranee

太陽は光輝き、ある時は雲の仮面を被り、刻一刻と奇跡を起こしながら、地球に光を与える事で生命を与えます。地球の盟主たる太陽が、王国の場として地中海を選びました。情熱的で輝かしい様々な文化に彩られ、オリエントと南仏、ギリシャとアラブ世界を結びつけてきた比類のない海。この海は、まさに「大地の中心」を意味し、この巨大な液体の塊が幾世紀も前から、黄金に輝き、波しぶきを上げメッセージを発信してきたのです。そしてそのメッセージは、時を経でも色褪せることを知りません。変化する「美」を追求し続けるエルメスは、2003年のテーマとして「地中海」を選びました。これまでも数多くの改革者、商人、詩人、探検家達がこの海の波を切って往き来してきました。オリーブと糸杉が影を落として、赤茶けた岩と砂が肌をのぞかせながら、ジャスミンやオレンジの花の香りに満たされた地中海という世界は、ある秘密を持っています。穏やかな潮の満ち引きがそっと囁きかけます。その秘密とは、ひとつの様式が連続する中に、永遠の進化があるということです。偉大ある教訓もあり模範である地中海、対等に肩を並べることはできずとも、近づくことならできるかもしれません。地中海という優れたお手本にできるだけ近づく事を目指し、お客様を魅了する事こそがエルメスの職人とデザイナーの目指す所になるのです。

2004

「ファンタジー」La fantaisie

エルメスだけでなく全ての生命になくてはならない、かけがえのないもの、それが「ファンタジー」。これは決してまじめや堅牢の反対語ではありません。むしろ、飛び立つ心、はじける気持ち、湧きあがる希望なのです。ファンタジーは、物の価値を高めるた為に射し込む大切な光であり、その光を得た物は幸せの波動を、さらに広く伝えることができるようになります。突然のように虹がかかると、すでに存在するものでも、七色の変化にとんだ顔をみせ、本来もっているべき表情を見せます。モノクロからカラー映画になると、観客の喝采が沸きたちます。同様に職人も、毎日の仕事でありながらも、頬が紅潮するほど上手くいったときには、自分の職をまっとうした事をしみじみ感じることができるのでしょう。

2005

「大河」Grand fleuve

古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスがこう言いました。「いま我が身を浸すこの川に、二度と身を浸すことはない。なぜなら川の水は刻一刻流れ、それはすでに私が身を浸した元の水ではないからだ」有名な万物流転説の一説です。一方、同じギリシアの哲学者パルメニデスは、これに真っ向から異を唱えました。変化とは幻影であり、「すべてのものは永遠不変の存在である」と。私の考えでは「エルメス」は川と感じており、何世代にもわたりその相貌を少しずつ変化しながらも、川は常にそこにありました。しかしひと度流れてしまえば、水は蛇行し、渦を巻き、岩にもぶつかり、一瞬たりとも変化をやめる事はないでしょう。エルメスもそうなのです。型にとらわれず自在に変化するこの永続性と意外性こそが、エルメスの働く人々の顔ぶれが変わっても、一世紀半を超えてここにあるのです。エルメスのブティックの扉を開けるお客様方は、パルメニデスとヘラクレイトスの二つの世界観を無理なく共存させているように見えます。お客様は、これまで築き上げてきた。信頼関係があるからこそ日々変化する流れに安心して身を任せる事ができるのです。自宅でくつろぐように、水を得た魚のように、居心地良く過ごしてくださることが、エルメスにとっての喜びなのです。

2006

「パリの空気、パリの風」Paris

「Hermes Paris」この名は私たちにとって、なによりの拠り所であり信条でもあります。パリはエルメスにとって原点なのです。「パリのエルメス」という名に導かれ、より大きな世界へと飛躍する事を心掛けてきました。パリはエルメスにとって、より高く、遠くへ飛ぶ為の跳躍台となっているのです。悲運の画家、フランスパン、ベレー帽とワイン、街角のアコーディオン弾き……。パリを愛する本当の理由を覆い隠してしまうそんなお決まりのイメージを、ひとおもいに吹き払ってはみませんか。皆さんはパリが好きですか?パリの街はあえて怠惰に暮らすための術を育む世にもまれな街なのです。そしてすらりとした女性達が底無しの健啖家ぶりを見せ、エスプリがあふれ、タクシーの数よりも創造力をかきたてる光景により多く出会える街でもあります。パリには長い歴史がありながらも、決して滞ることなく、絶えず動いていきます。それは周囲にも伝わり、人々を巻き込み、鼓舞し、新しい未来を創りあげようと命じるのです。こうして挑戦する事が私達に翼を与え、心を浮き立たてるのです。

2007

「ダンス」ANNEE DE LA DANSE

「さあ、踊りの輪に!」 試したことのある人なら、誰でも知っているだろうこの胸の高鳴り。パンタンにあるエルメスのアトリエ、光あふれる「アトリウム」の中に立ち、目を閉じて、耳を澄ましてみましょう。するとざわめきの様にたちのぼり、階上のアトリエから響きあい、ひとつにまとまってこちらに迫ってくるでしょう。音楽ともリズムとも違う、けれども体のどこかでそれを感じる快いざわめきのリズム。身をゆだねているうちに、閉じたまぶたの裹に浮かびあがるのは、開いた目には映らないコレオグラフィーの姿。アトリエにつとめる職人たちの繰り広げる数えきれない身振りが描く直線と曲線、そして複雑な動き。パンタンの物音を知る人は、誰でもこの感覚を知っています。私達はダンサーでも、コレオグラファーでもありません。それでも本能的に、エルメスの職人たちは仕事がダンスに似ていると知っています。道具を動かす動作。それにともなっての息を吸い、吐く感覚、そして身を乗り出したり鋺を前につきだす時に感じる思いきって宙に跳びだすような陶酔と新しい物を創りだす為に欠かせない、すべてを投げ打つ爽快感。これはエルメスの2007年は、このような心地よい胸の高鳴りに満ち、波打つリボンの様にしなやかに、生き生きとステップを踏む年になるのでしょう。動く楽しさ、身振りの美しさ。さあ、あなたも私達と踊りの輪の中へ!

2008

「魅惑のインド」Fantaisies Indiennes

INDE!!インド!!
手懐けられない。
人に頼らない。
叩いても壊れない。
思いがけない。
どうしても越えられない。
ほねみえを惜しまない。
汲めども尽きない。
言葉には表さない。
正体を見せない。
梃でも動かない。
なくてはならない。
ひい、ふう、みい……数限りないインドの表情。

2009

「美しき逃避行」Lechappee belle

「美しき逃避行…」エルメスが愛するのは思いがけないものとの出会いです。ひっそりとした抜け道や知る人ぞ知るルート、そして学校や仕事を怠けて気ままに過ごす時間。決まりきったものの見方が揺らぎ開ける新しい世界で美しき逃避行とは、そうしたものすべてを分かっていたはずの事や、当然だと思っていたことが突然できなくなる瞬間、心をよぎる驚きと戸惑い…そして胸にひろがる新たな世界への期侍する心。それがエルメスの考える「美しい逃避行」です。

2010

「語りつがれる物語」

昔々あるところに、1枚のデッサンがありました。そのデッサンとはお話したり…驚かせたり…からかったと現実と空想の間を綱渡り。今年はいたずら好きのエルメスと共に…。この「ものがたり」は描き続かれ、昔々、あるところで…こんなところに…いろいろなところで…